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鶴友老人クラブ月間機関紙9月号掲載

 投稿者:秋田のSF  投稿日:2019年 9月10日(火)19時51分5秒
  通報 編集済
  稲川ガイドの手引きから
稲庭城に関する余話 その1
「稲庭城の築城年代は?」
 県内には900カ所の中世城館があります。このうち小野寺氏の
支城と言われるのが①稲庭②大森③吉田④浅舞⑤湯沢⑥樋口~湯沢
市金谷⑦川連?馬鞍⑨関口⑩柳田⑪三梨⑫岩崎⑬小野⑭合(相)川
⑮西馬音内⑯院内⑰六郷⑱高寺~羽後町⑲山田⑳川口~横手市猪岡
?鍋倉?八柏~大雄?黒川?川(河)熊~神宮寺?植田(小鼓城)
?今泉(館)?新田目~十文字町の27カ城になっている。
                   (秋田県史巻1による)
 湯沢・雄勝地区で最も古い城館は、稲庭城と川連城です。鎌倉時
代の初期、頼朝から雄勝郡の地頭に任命された小野寺氏はここに本
拠地を置き郡内を支配しました。
  従って双方ともに鎌倉期に構築されたと思われますが、当時の
武士は一方において、農業の経営者であったので、日常生活には平
地が利用されていたと考えられます。
 川連城西域に「平城」、「大舘」という所がありますので、はじ
めはそこに本拠地を置いたのかもしれません。中世武士が山を利用
して軍事施設(山城)を築くようになるのは、一般的に室町時代後
期からとされています。その頃になると数カ村の地侍層が従い、山
城を築くようになりました。すなわちその土地の第一人者、支配者
であることを示すためです。
(参考『解説 県立博物館資料・稲庭ガイドの会研修資料その3』)
読み・意味・補足説明など( )・~で一部挿入等編集した。編集者 SF(福嶋静男)

チョットマッタ! なんで稲庭城が支城なんだ??
 お答えします。
 室町時代末期、小野寺氏は勢力拡大のため本城を稲庭城から沼館
城、次いで横手城に移し、居城しました。支城となった稲庭城には
城代が置かれましたが、間もなく当主小野寺泰道の二男の晴道が城
主となり、以降稲庭氏を名乗りました。解説SF(福嶋静男)

?

https://www.youtube.com/watch?v=okV2vQcK7Fo

 
 
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